進化か退化か
人類が目指してきた延命(寿命を延ばす)は
叶えられたのではないでしょうか。

日本では縄文時代、30歳ぐらいだった寿命が
戦国時より戦後までが50歳に満たないほどでした。
かの織田信長も
「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」
と詠んでおりました。
特に現代60年(1947年以降)の平均寿命が急激に延びており、
80歳を超える時代となりました。
文明の発展と共に、医学の進歩、快適さと利便性を求め、
有効活用できる時間と、情報があふれている現代のはずです。
その結果、現代人はどうなったのか…?
病は増え続け、身体を動かさなくなり、溢れる情報は、PCやクラウドのみに保存して生かさず、直接的な学習やコミュニケーションさえも簡略化と体系化したものを好んで傍観するのみでモノにせず、時間を有効に使わず、常に「忙しい」といい、休まない、眠らない、日常を続け、ストレスを選択し続ける。
急激な変化は必ず支障をきたすという絶対法則。
まさにその法則通りの現代になっている。
平均寿命約30歳の時代が数千年続き、
平均寿命約50歳の時代が500年ほど続き、
平均寿命約80歳の時代が60年となる今日、
その内容が問われている。
寿命まで健康でいられるか?
美しくいられるか?
豊かでいられるか?
幸せでいられるか?
昨日までの先人が先導した寿命を延ばした素晴らしい功績を元に未来を担う、今、生命ある者がその内容を補う役目がある。
4000年前に発祥したとも言われている、中医学や気功での文献に文明が発達した中央都市と言われている地域は精神の病と身体が冷えて気血の流れが悪くなる病(血液の病)が多くあったと記されている。
文明の発展は人類の進化も伴うべきである。
現代は感じる能力も、考える能力も、活動する能力も、退化してしまっているのではないだろうか。
これからの未来に向けて、今を生きるべきが人類があるべき姿だと思う。